2009/12/29

碓氷峠・廃線跡を利用した遊歩道「アプトの道」

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「写真:碓氷峠を走ったアプト式電気機関車ED40形式(大宮鉄道博物館)」

碓氷峠とは群馬県と長野県の県境にある峠で昔は中山道の最大の難所でした。近代になっても急こう配の難所に変わりはなく、ここを通された信越本線の苦労は他に比較できません。ここ旧信越本線碓氷峠は開業当時66.7‰という急こう配をラックレールに歯車を噛ませて昇るアプト式機関車を採用。客車や貨物列車はこのアプト式機関車にけん引されてこの急こう配を克服していました。日本で初めて電化された区間でもあります。1963年にはアプト線の北側に新線を建設。技術の進歩でアプト式ではなく、一般的な電気機関車の車輪による粘着運転で登坂できるようになりましたが、常の車両ではこの勾配に対応できず、登坂力、ブレーキ力を補うためEF63形を補助機関車として2両連結して走行していました。しかし1997年に長野新幹線が開業し、在来線である信越本線軽井沢駅~横川駅間の旅客数では区間の維持が難しかったため、軽井沢駅~横川駅間のみ廃止されてしまいました。信越本線は東西に分断されてしまった形として現在に至っています。

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「左写真:線路の中心にあるのがアプト式のラックレール、右写真が機関車の歯車。これをラックレールに噛ませて急こう配を昇っていた」

109現在の軽井沢駅~横川駅間は線路も架線もそのままの状態で保存されており、廃線にもかかわらず、休止線のような感じになっています。一部は遊歩道「アプトの道4.8km」として整備され、横川駅前の碓氷峠鉄道文化むら前を基点として、旧上り本線(新線)を経由し、丸山変電所、峠の湯を経て、旧線(アプト線)に入り現在は碓氷第三橋梁(通称めがね橋)までが通行可能となっています。今回はその遊歩道「アプトの道」を歩く旅をします。今回は軽井沢駅からタクシーで国道18号線碓氷峠を下り、アプトの道終点のめがね橋で下車し、そこからスタートします。そのほうがずっと下り坂を歩くので体力的に有利と考えました。

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「写真:碓氷第三橋梁(通称めがね橋)」

平成21年12月20日長野新幹線で8:28軽井沢駅に到着。駅前からタクシーに乗車します。30分ほどでめがね橋へ到着しました。めがね橋上部へ上がるための階段が工事中だったので、トンネル1つ向こう側から遊歩道に入ります。第5号隧道を潜るとめがね橋の上部へ出ます。全長 91 メートル、川底からの高さ 31 メートル、使用された煉瓦は約 200 万個で現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模です。橋を渡ったところが遊歩道の終点です。これから先、熊の平までは遊歩道の延長工事が行われています。めがね橋(橋梁)もトンネル(隧道)もアプト線(旧線廃線跡)は煉瓦で作られており、全てが重要文化財に指定されています。ここから横川まで写真を見ながら廃線遊歩道を辿ってみましょう。

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「左写真:めがね橋上部から撮影 右写真:遊歩道終点」

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「写真:第5号隧道内部」

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「写真:第4号隧道、第3号隧道を潜る」

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「写真:遊歩道から見た碓氷湖 湖の周りも遊歩道が整備されている」

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「写真:第2号隧道出口に当時旧線に使用されていた線路が放置されていた」

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「左写真:トロッコ列車の終着駅である(とうげのゆ駅)と、日帰り入浴設備(峠の湯) 右写真:この軌道はトロッコ用で元信越本線下り線」

「峠の湯公式ホームページリンク」

http://www.usuitouge.com/tougenoyu/

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「写真:遊歩道は信越本線上り線を利用。線路と架線はそのまま」

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「写真:丸山変電所 アプト式鉄道電化の際に使用されていた建築物」

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「左写真:遊歩道とトロッコ軌道 右写真:道路側溝のふたにアプトのラックレールを再利用している」

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「写真:廃線にEF63が!実は碓氷峠鉄道文化むらで本物のEF63電気機関車の体験運転ができる(2日間の講習が必要)」

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「左写真:文化むらのEF63とトロッコ列車(冬季は運休している) 右写真:横川駅車止」

「碓氷峠鉄道文化むら公式ホームページリンク」

http://www.usuitouge.com/bunkamura/

片道全行程4.8km、歩行時間1時間30分でした。丁度この時期、今季最大の寒波が到来し信越地方は大雪に見舞われ心配しておりましたがほとんど雪もなく歩きやすい遊歩道だったと思います。お薦めルートはやはり、ダウンヒルですね。歩きなれていない人は、横川駅からだったらタクシーでめがね橋まで行って下りを歩かれたほうがいいと思います。最初に横川駅から歩くと上り坂を延々4.8km歩くことになるので大変疲れますよ!時間があれば「峠の湯」に入って疲れを落とすのもよいでしょう!

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2007/06/11

姫路市モノレール廃線巡り

27平成19年5月31日、姫路にある手柄山中央公園にドライブに行きました。手柄山中央公園は子供が遊べる遊園地や、水族館があり、姫路市民にとっての憩いの場となっています。市営ともあり広大な緑地と格安の利用施設が魅力です。その水族館の入り口にレンガ積みのトンネルがコンクリートで塞がれた要塞を目にします。これは姫路市モノレールの終点「手柄山駅」です。姫路にモノレール?という方も多いと思いますが、今から41年前の昭和41年4月に手柄山で開催された姫路博覧会に併せて同年5月17日に姫路駅~手柄山駅間1.6kmが開通しました。しかし博覧会が終了後、利用乗客が伸び悩み、昭和49年休止、昭和54年1月26日に廃止されました。走行実績はたった8年間、廃止されて28年が経過しましたが、現在に至ってもその痕跡を辿ることができます。

Hp_3_1最初の写真は、「手柄山駅」現在は相談所として使用されているようで、モノレールが入り込んでいたトンネルが、後からコンクリートで塞いだ感じがご覧になれます。この中には現在も車両が眠っているとのことですが、一般公開はされていません。

Hp_1_1次の写真は、水族館から見た軌道。途中で切断されています。

Hp_8新幹線の高架を潜り、右へ曲がった軌道は、駅とマンションが一緒になった10階建てのビル駅「大将軍駅」に続きます。驚きの光景ですが、ビルの3階部分が駅となっており、現在も当時のそのままの状態を残しています。

Hp_2_1「大将軍駅」を出た軌道は、雑居ビルの真上を通り、姫路駅方面へ伸びていますが、途中途切れ、その先は姫路駅前の賑やかな広場となっています。

 現在姫路駅は橋梁駅舎建設のため、駅前もかなり区画整理が進んでいます。いずれはこの姫路市モノレール軌道も壊されなくなっていくでしょう。と同時に姫路にモノレールが走っていた記憶も少しずつなくなっていくのでしょう。このHPで少しでもその記憶が失われないように皆さんに知ってもらえれば幸いです。
おわり

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2006/09/13

片上鉄道廃線跡めぐり 第2段

 前回に引き続き、片上鉄道の廃線跡をめぐる第2段です。前回は北部(柵原近辺)を中心に日記を書きましたが、今度は南部の片上駅、片上港の日記です。

No_082 片上鉄道は1991年(平成3年)6月に廃止された、岡山県のローカル私鉄です。柵原鉱山で硫化鉄鋼を採掘し、それを片上鉄道で片上港まで輸送し、船に積み替え各地に送られていました。しかし、石油から格安に硫化鉄鋼に変る成分が開発されると、柵原鉱山も衰退の道を辿り、惜しくも鉱山は閉山。そして平成3年6月30日をもって片上鉄道も廃止されてしまいました。
 
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 あれから15年の月日が流れ、片上鉄道の旧路線は自転車道(片鉄ロマン街道)という鉄道風景をそのまま残す、サイクリング・ウォーキングロードに生まれ変わりました。自転車道の路傍には、プラットホーム、駅舎、信号機、距離標、鉄道器具保管箱等が残り、それらを探しながら吉井川に沿ってサイクリングを楽しめるのがここの売りです。そのため路線のほとんどが区画整理されてしまったので、手の加えられていない廃線跡がほとんどなくなってしまいました。しかし、よく探してみると、サイクリングロードに改良されていない真の廃線跡が隠れていたりします。そんな廃墟を探して歩くのが本当の廃線跡めぐりの醍醐味だと考えています。今回は片上港近辺で発見した廃線跡をお送りします。

No_025 1枚目の写真は、片上駅を出た路線は鉄橋を渡り、左へカーブしていました。そのカーブと、敷地の境界である枕木の柵が残っています。

No_021 2枚目の写真が、先ほど言いました片上駅を出たすぐにあった鉄橋が掛かっていた跡を示す橋脚が川の両端に確認できます。右側の白い壁・黄色屋根も建物がが電気屋(デオデオ備前店)。その辺に片上駅構内がありました。

No_019 3枚目の写真が、片上駅前のロータリー跡。この写真の裏に、マックスバリューのスーパーがあり、その駐車場が片上駅舎とホームがありました。この写真の右側に駅前食堂があり、看板の地図に片鉄の路線と片上駅が未だに書かれているのが唯一の名残でしょうかね。

No_009_1 4枚目の写真が、片上駅からさらに西へ300m行った広地。ここがかつての貨物列車の留置線と思われます。奥に、先ほどのデオデオとマックスバリューが見えます。その辺りが片上駅。写真手前には生々しい線路に敷き詰めていた赤錆びた玉砂利がそのまま残っています。

No_010 5枚目の写真。これは片上鉄道の起点を示す「0キロポスト」。片鉄の廃線跡めぐりで一番感動した1枚です。この位置にあるのが価値があるのですが、いずれここも整理されることでしょう。取り壊される前に是非この0キロポストは保存してほしいですね!

No_006 6枚目の写真は、船に荷積みされる直前の鉱石を積んだ貨車が通ったと思われる線路を引いていた跡が残るコンクリートの足場が残っていました。そのすぐ左が片上港で貨物船が横付けされていました。

No_011 7枚目の写真が、現存する廃線跡の最末端と思われる線路の盛り土跡。これ以上先に廃線跡は確認できませんでした。

No_047 この片上駅近辺は比較的多くの廃線跡が現存していますが、10年前に訪れた時と比べれば、かなり区画整理されてしまって、探し出すのがかなり困難になってきているのが感想です。廃止された今でも片鉄は住民に愛され、自転車道として生まれ変わり、有志によって動態保存され、未だ現役で当時の気動車が走っています。このような画期的な廃線は見たことがありません。これからも多くの人の心の中に片上鉄道が走り続けてくれる事を、いち片鉄ファンとして応援したいと思います。

【吉ヶ原駅で片鉄車両の動態保存車両に乗車できる情報があるよ!】
*片上鉄道保存会ホームページ*
http://www.ne.jp/asahi/katatetsu/hozonkai/index.htm
おわり

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2006/09/09

紀州鉄道の1部廃線跡めぐり

 平成18年9月4日(月曜日)和歌山県御坊市内を走る「紀州鉄道」に乗車しました。この「紀州鉄道」は全長がたった2.7kmしかなく走行時間もたった8分。駅数は5個と大変ちっちゃい鉄道です。日本で2番目に路線が短い鉄道会社がこの紀州鉄道なのです。そんな小さな鉄道にも関らず、「廃線区間」があるのです。今回は紀州鉄道に乗車する目的と、この廃線跡めぐりをするために、岡山県から6時間を掛けて鈍行でここ和歌山県御坊市を訪れた旅を写真と共に紹介します。

_021 まずは紀州鉄道の終着駅「西御坊駅」で下車しました。ここ「西御坊駅」はかつては中間駅でした。西御坊駅の線路終端の車止めから先に、今だ線路が先に続いているのが写真でも確認できます。ここから0.7km先にある「日高川駅」までが紀州鉄道廃線跡となります。

_081紀州鉄道「西御坊駅」~「日高川駅」間が廃線になったのは1989年4月なので既に17年の月日が流れているにも関らず、線路はほぼ原型を留めて現存しています。というのは敷地は今だ紀州鉄道の管轄となっており、用地買収されることなく、踏切と鉄橋以外は現存していました。御坊の古い住宅街の間を線路は左に折れながら南下しています。線路は立入禁止となっており、民家の裏庭をかするように通っているため、線路は歩くことが出来ません。部分的に草むらのジャングルになっています。

_085通常の廃線跡めぐりは、路線用地は買収され、片上鉄道のように自転車道となったり、住宅地になったり、自動車道路になったりと、原型を留めていることは非常に難しく、探す時は過去の地図と現在の地図を照らし合わせて微かな痕跡を探すのが楽しいのですが、この紀州鉄道はそれが全くないのです。それほど分かりやすいので私のような廃線跡めぐり初心者には最適かもしれません。

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15分程度南へ歩くと、「信号機」が見えてきました。その先に「踏切の遮断機」もそのまま残っているではありませんか!廃線を知らない人が車で通りがかったら一旦停止をしてしまいそうな空間がそこに感じ取れました。
 信号機の近くに住まれているおじいさんに、当時鉄道の走っていた頃の質問をしてみました。NAO君→「いつ頃までここの鉄道は走っていましたか?」と、おじいさん→「ゆっくり見て行きなさいや!」 NAO君→「はい・・・」

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 この踏切のすぐ南側が、かつての紀州鉄道終着駅「日高川駅」。2線の線路、ホームが残っています。駅構内に流れる小川の橋脚が4線分あります。かつては留置線が4線あったものと考えられます。現在は2線が線路で、あとの2線分の敷地には民家が建っています。もともとは王子製紙春日井工場向けのチップを輸送するための拠点でありました。今はかつての面影はなく、住宅地の真中に広い空き地が広がるだけの空間になってしまいました。この先は日高川の堤防があり、階段をあがると日高川が流れていました。

 今回歩いた廃線跡は、ほぼ原型と留めておりました。廃線跡めぐり初心者の私にとっては探しやすく、区間も短かったので大変楽しめました。今にも線路の先から列車が走ってきそうな風景を残す廃線跡はかなり珍しいです。ほとんどの廃線は、区画整理されたり、道路になったり、住宅地となって姿を消してしまっています。そのような場所にも微かに鉄道の痕跡が残っているところが必ずあります。
 岡山県には片上鉄道をはじめ、数多くの廃線跡が点在しています。今は無き、岡山のかつて鉄道の風景を探す旅などもここ「NAO君旅日記」で紹介できればと思います。

紀州鉄道廃線区間に詳しいホームページの紹介
http://www.aikis.or.jp/~okada/ri/ensen/ensen.html

おわり


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2006/09/04

片上鉄道・動態保存車両の展示運転に乗車!

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岡山県美咲町柵原に、柵原ふれあい鉱山公園「吉ヶ原駅」(旧・片上鉄道「吉ヶ原駅」)がある。ここは、片上鉄道保存会のメンバーにより、平成3年に廃止された片上鉄道の車両を動態保存し、毎月第1日曜日に展示運転をおこなっています。今回、9月3日(日)に、展示運転に乗車してきました。
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 今回乗車したのは、キハ702の昭和11年に製造された気動車です。車内はかなりレトロな雰囲気で、当時の形をそのまま現存させています。車内のほとんどは木を使用しており、現在の近代的な列車にはない暖かさを感じ取れます。

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 昼から見学者の増で、キハ303を増結し2両編成での展示走行が行われ、大変珍しい重連走行も体験できました。本日の重連運転は午後13時発の1回限りで、通常は1両での走行となります。

 展示運転の料金は1人200円で1日乗り放題で、運行時間(出発時間)は10時・10時30分・11時・11時30分・13時・13時30分・14時・14時30分で最終15時です。


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 当日(毎月第一日曜日のみ)の催しとして、旧柵原鉱山跡の坑道を利用した農業の見学が出来ます。当時硫化鉄鋼を掘り出していた普段歩くことが出来ない坑道を歩くことができます。料金は1人300円で、時間は10時30分~と13時30分~の2回。集合は吉ヶ原駅から東へすぐの所にある、鉱山資料館窓口で、時間より先に受付を済ませておいてください。定員がありますのでお早めに申し込みを済ませておくことをお薦めします。

 十分ここで遊べます。1人500円(片鉄乗車200円・鉱山見学300円)で十分です。吉ヶ原駅の裏は芝生の公園なので、弁当を広げてゴロゴロすることが出来ます。お子さんも飽きさせずに1日十分に楽しめること間違いなしです。

美咲町ホームページ http://www.town.misaki.okayama.jp/

片上鉄道保存会ホームページ http://www.ne.jp/asahi/katatetsu/hozonkai/

おわり


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2006/08/16

片上鉄道・廃線跡探し

_067 平成18年8月16日(水曜日)休日を利用して、片上鉄道の廃線跡を探しにドライブしてきました。

片上鉄道は、岡山県備前の片上港から柵原までを結び、鉱石輸送用に作られた鉄道で、主に同和鉱業柵原鉱業所で掘られた硫化鉄鋼を輸送するために、大正12年(1923年)片上~和気、昭和6年(1931年)に全通しました。しかし、鉱石輸送の廃止に伴い、平成3年6月30日をもって片上鉄道は廃止されてしまいました。

その後、15年の月日が経ち、廃線跡地はサイクリング・ウォーキングロード(片鉄ロマン街道)として整備され、線路、バラストはなくなり、舗装されました。一部に手の加えられていない廃線跡を探して撮影しましたのでご覧下さい。


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まず1枚目の写真は、片鉄終点の駅「柵原駅前」。当時の面影は全くなく、2年前まで残っていた三角屋根の駅舎も取り壊されていました。

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 2枚目の写真は、「柵原駅ホーム」。写真左に、当時の駅のトイレだけが残っています。ホームとかすかに残る線路が当時鉄道が走った駅だったことを教えてくれます。

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 3枚目の写真は、「柵原駅構内信号機」。線路は全てなくなり、草むらの中に信号機だけが、来るはずのない列車を待っています。


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 4枚目の写真は、柵原駅の次の駅、「吉ヶ原駅」。ここ吉ヶ原駅は、片上鉄道保存会により、当時走行していた気動車、客車を動態保存し、毎月第一日曜日に展示運転が行われています。
*片上鉄道保存会ホームページアドレス   http://www.ne.jp/asahi/katatetsu/hozonkai/ 

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5枚目の写真は、吉ヶ原駅に動態保存されている気動車「キハ702」。昭和11年に川崎車輌で製造された車両で全国的に見ても現存が2両しかなく、たいへん貴重な車両だそうです。


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          6枚目の写真は、吉ヶ原駅の次の駅、「美作飯岡駅ホーム」。ホームは残っていましたが、線路はなく、土のう置き場となっていました。駅舎も取り壊されていて、草の中に埋もれてしまっています。次の写真「草むらの駅前」には、当時の駅前商店を思わせる廃墟が静かに佇んでいました。


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8枚目の写真は備前福田駅・備前塩田駅間にあった「吉井川鉄橋の橋脚跡」。(周匝側から撮影)その次の写真が、吉井川を渡ったすぐにある橋脚。「3本の脚」ここに鉄橋があったことを物語っていて廃線跡らしい映像です。

今回はここまで。

後はほとんどが「片鉄ロマン街道」として整備されていているので、原型を留めているところは少なくなっています。整備された廃線跡ではなく、原型を留めた、如何にもその先から汽笛の声が聞こえてくるような錯覚に陥るような、何とも懐かしいと感じさせてくれるという場所を今後も探していきたいと思っています。それが廃線跡めぐりの醍醐味だと考えています。
おわり


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